ドアノーの個展見てきました*2021.10.29
こんにちは、KOMICHI photographです!
先日、京都に行く機会がありまして、
故島さん(とても素敵な世界的フォトグラファーさんです)に
教えてもらった京都駅伊勢丹の美術館「えき」で開催されている
写真家ドアノー/音楽/パリを見てきました*
ちらり。(photospotで撮影OKのとこ、スマホで自撮りです)
ところで、私、好きな美術家さんが、横尾忠則さんで(最近見れてないけれど)。
御朱印帳も横尾さんのデザインのやつをわざわざ買いに行きました、これ*
混沌としているのにユーモラスな世界観がなんとも言えなくて、そういう感じが好きで。
ふだんから、あまり写真展には行かない私。
お友達と写真展を見に行ったこともあったけど、
バランスのとれたデザインのような写真には
あまり心が揺れなかったような記憶があります*
(いい・悪いじゃなくて単なる好みの話!)
パリッと決まった共通認識のバランスのとれた美しさよりも、
人間(個人)らしさから生まれる、いびつさ、歪み、刹那の儚さこそ美しく感じる、
というか、 ただ単純に好きなんですよね、そういう感じが。
むきだしの、その瞬間の命のかたちに触れるようなものが。
気持ち悪いくらいのやつの方が好き*
バンドだとゆらゆら帝国とかが好きなの。。。
だから、今回のドアノーも少し不安でした*
ドアノーという写真家さんを、故島さんの投稿で初めて知って、
ちょうどたまたま会期中に京都に行く用事があったので、
これも何かのご縁、と、
行くことを決めたわけでありまして、
彼の作風などまったく調べずに突撃。
果たして、私に何か感じられることはあるのか…
結果、心配は杞憂に終わりました。笑
あまりいうと展示のネタバレになってしまうので、
詳しい内容は伏せさせていただきますが、全体的な感想を書いておきます。
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ドアノーの写真には確かに温度がありました。
その中には時間が流れていて、
風も匂いもも感じられる。
70年も前の写真なのに。
つい先日撮った写真のように。
自分が生まれる30年以上前の、
見知らぬパリの人々の写真なのに、
まるで自分が当時その場にいたかのように、
「懐かしさ」を感じられる写真。
そしてシャッターを押す瞬間の、ドアノーの心の動きまでも。
何気ない風景から伝わる温かさ。
いつの時代も変わらない人と人の繋がり。
特別な瞬間より、ささいな日常から伝わること。
ドアノーという写真家さんはとても優しくて、
きっと、すごくすごく温かな人だったのだろうな。
そして、写真を撮ることをおもしろがっているのがよく分かる。
個人的には、有名人のポートレートよりも街角の人々の写真が好きでした*
有名人の写真は、当たり前だけどピリッとした緊張感や、
被写体そのものの感覚が含まれているので、
ドアノーの作品なんだけど、被写体とのコラボ感があるというか…
そのコラボ感を最高のかたちにもっていくのが至難の業で、
技術がある人しか為し得ないと思いますが、
私がドアノーの写真で惹かれたのは、
そういう技術的な部分というよりも心の動きの部分で
街角の人々の写真はそういうピリッと感なしに、
ドアノーの純粋な心の動きが見える気がして。
そういう意味で、街角写真の方が好きでした。
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以上、展示を見て私が感じて想ったことでした。*
さて、私自身の話になりますが(ドアノーの写真の感想のあとに自分の写真の話するのなんか勇気いる笑)
私が撮った写真を見た人はみんな「こみちさんの写真はすごく優しい」と言ってくれます。
私はというと、まったく「優しい写真を撮ろう!」なんて考えながら撮ってるわけもなく。
しかも、まったく違う現場なのに、みんな決まって「優しい」という言葉で私の作風を形容してくれます。
「”優しい”って共通認識、何を以ってしてそう感じるのだろうなぁ」
って、今までずっと「?」だったんですけど、
このドアノーの作品を見て、なるほど…すっきり分かりました。
そういうことかー!
言葉で説明しろと言われると難しいんだけど。なるほど納得。
たった30分くらいドアノーの作品を眺めたけでこんなにいろいろ感じられるとは。
すごい人たちの表現する力は本当にすばらしいなぁ。尊敬。
・・・と、そんなこんなでいろいろな気づきがあった、楽しい楽しい京都旅、勉強になりました。
今日という日を忘れないために、ちゃんと本も書いましたよ。
会期は12/22まで。
京都に足を運ぶご予定がある方、ご興味あれば行ってみて下さいね^ ^*
おわり*