写真のはじまりのお話*
久々にただのブログです。
写真のはじまりのおはなしと、
心に響いたことを、話させてください。
写真のはじまり。
それは、ヨーロッパの画家たちが写生をする際の補助器具として、
カメラオブスキュラを使っていたのがはじまり。
19世紀になると、投影された画像を科学的に定着させようと研究する者が出てきて、
フランスのニエプスがアスファルト材料の感光性を利用して初めての写真撮影に成功。
その後、研究半ばにして亡くなったが、共同研究者のダゲールによって銀版にヨウ素の蒸気を当てて
感光性を与えて、撮影後、水銀蒸気で現像するダゲレオタイプという写真技術が考案されました。
その後、銀板は高いので銅板に銀とヨード液を塗って、感光性を与え撮影するかたちに変わり、
銅板が撮影直前に感光液コロジオンをガラス板に塗布する湿板に変わり、
乾いてからでも感光が可能な乾板、そしてフイルムを経てデジタル、
というかたちで現代の写真技術へ継承されていきます。
(ダゲレオタイプの1年後には、タルボットが銀塩を使った紙ネガ印画法「カロタイプ」を発明してる)
・・・
という話を、昨日、六本木のFUJIFILM SQARE写真歴史博物館で聞いてきました。
春頃に、故島さんのオンラインサロンで、
ダゲールとタルボットの話は聞いていて、
記憶に残っていたので、ふむふむという感じ。
ロベール・ドアノーの写真展が見たくて行ったんだけど、
(やっぱり無料だと作品点数が少ないから有料でがっつり見たいな。原物で見応えはあったけど^ ^*)
たまたま、コンシェルジュの説明が聞ける時間に到着したので、
写真の歴史について詳しく説明してもらった。
そのときに実際に見て、触らせてもらった銅板写真や湿板写真。
素材が、紙ではなく銅板やガラス板だから、ずしっと重みがある。
時間をかけて撮った写真を、丁寧に大切に、桐箱で装丁する。
海外製の銅板写真もそう。同じように、素敵な蓋つきのフレームに入れて、大切に保管される。
湿板はアンブロタイプという写真技術で、
ガラス板がネガになっていて、板の後ろ側に
黒いビロードの布を貼ることでポジに見える、
というとっても不思議な構造。
写真の桐箱に入っているアンブロタイプも、ガラス板だけで見るとすべてネガ。
ガラス板の裏側に黒のビロードが据えてあるので、ポジに見える。
ダゲレオタイプで銅板に撮影する写真は30分、
そこから技術は進化し、アンブロタイプは数秒から2分程度、撮影にかかったとのこと。
桐箱に収められた写真は、
おそらく親族であろう大勢の集合写真。子どももいる。
そして、ご夫婦の写真、1人の写真。
この桐箱装丁のアンブロタイプは幕末から明治の初期にかけて流行ったらしい。
流行るのも納得なくらい、素敵だった。
現代にあれば私が欲しいくらい。
今でこそ、スマホやデジカメでサクサク撮れて、
モニターですぐに現像して確認できるようになったけれど、
一番最初、写真が日本に入ってきたときは、
撮るために専門知識と確かな技術が必要で、
写る側も、長時間静止しなければならないし、
撮影後の現像作業にも、技術と時間が必要。
大人はまだしも、子どもと一緒に写るなんて、大変な作業だっただろう。
写真とは、もともとは”そういうもの”だった。
桐箱や素敵なケースに入れて、大切に保管していくものだった。
決して今のように、値段で比較されて消費されるようなものではなかった。
(私のお客様にはそういう方はいらっしゃらないのだけれどね*。)
技術の進歩で気軽に大切な瞬間を残せるのはとてもいいことだと思う。
だけど、手軽さゆえその価値が軽く感じられるようになってしまった。
技術が進歩しようと、簡単に残せようと、
「写真を残す」ということ、それ自体の価値は変わらないはずなのに。
今の時代にカメラマンをしている私たちが、
確かに伝えていかなければならないことは、
その変わらぬ価値を、正しく伝えることかもしれない。
「写真を残す」ということ。その意義。
幕末当時の人々が写真を通して後世に伝えたいと思ったこと、その想いは、
今を生きる私たちも、時代を超えて同じように感じ、同じように思うことができるものだろう。
私たちカメラマンに必要とされている技術は、撮影の腕・現像の腕はもちろん、
正しく写真の価値を伝えられる知識や表現力、そして様々な物事を敏感に繊細に感じられる心を持つことかなと思う。
日々、精進。
伝えたいこと、伝えられるカメラマンになれるように。
久々に心震えるものに出会えて元気出たし(アンブロタイプに本当に感動した)
これからも、頑張るよ。